相手の人や他を褒めることによって、けなされるよりも何倍もの心地よさを、相手も自分も感じるものです、それで自分も元気になれるのです。
8ものごとは善い行為(善因)、悪い行為(悪因)の結果として現前に現れるのですから、良き展開を期待するならば善循環の風をおこさなければ念じても花開くこともないでしょう。
これは簡単に言うと「脚もとをよく見なさい」ということです。
とりわけ人間は、自分の思惑という「現実」を心の支えにしがちです。
運・不運に一喜一憂するのは、感傷的な心の狭い了見に過ぎません。
けれども お母さんは、たとえ助からずとも何も治療せずして死なせるのにしのびないと医者に必死の嘆願をされて、頭蓋骨をはずしての長時間にわたる手術が施されたそうです。
名古屋大学大学院・大谷大学大学院博士課程で仏教を学ぶ。
「柳緑花紅」の意味と使い方 風流としての「柳緑花紅」は、柳の淡い緑色と花の鮮やかな紅色、この二色が織りなす美しい景色を眺め、自然のままの美しさがどれほど素晴らしいものであるかを詠んでいます。
「柳の中には周囲がみな緑の芽を吹くが、自分は周囲の柳とは異なる特別の存在だ。
あるがままの姿、正真正銘の「現実」をそのまま受け入れること。
「天真に任す」天真とは天然の道理のことですから、さまざまなこだわりを捨てて、水が流れるように、空に雲が浮かんでいるように、ただ自然の道理に身を任せることです。
あなたの心が楽になる事を願っています。
なお中国では、四字熟語のことを「四字漢語」または「四字成語」といいます。
運とは天命のめぐりあわせ、めぐってくる吉凶の現象として、運がむいているとか、よいほうに言うことが多い言葉のようですが、運のつきなどと、滅びる時がきた、人力ではどうしょうもないという言い方にも使われます。
煩悩があるから、人は不安になる 前回は、ドイツのシュライエルマッハーという神学者の著書『宗教について、宗教蔑視者中の教養人に寄せる講演』と、金子みすずさん、榎本栄一さんの二人の詩人の作品を引用しながら、仏教的な視点について考えてみました。 迷いは煩悩と不即不離(つかずはなれず)です。 求めない。
12書き下ろし 岡山県 ・安禅寺住職 村上明道 水はぬるみ樹木の芽がふくらみ、まさに春本番を迎える季節になりました。
「鳥語花香」 「鳥語花香」は「ちょうごかこう」と読みます。
春という季節の中では、柳は確かに緑の葉をつけ、花は紅色に咲き誇ります。
柳暗とは、生い茂った柳葉が陰を作り暗くなっている様子を表わし、花明は、明るい色で咲き誇る花々を表わします。 [使用例] は緑、花は、そのほかに何のがあると 云 いいます。
14運は自らの努力によってのみ、切り開くことができるのだ、という教訓も一方にはあるようです。
著書に『親鸞思想の研究』(私家版)、『人生のゆくへ』(東京国際仏教塾刊)、『生と死を超える道』(三交出版)など。
地震などの自然災害のみならず、交通事故の現場においても、よく助かったものだ、運の強いことだ、神仏のご加護があったなどと、命の明暗を分けた現場では、運、不運が語られます。
しかし実際には透明な眼鏡というのは難しく、少なからず誰の眼鏡にも色は付いているもの。 あるがままを受け入れる、という意味の禅語を探していて、この言葉を見つました。 「柳緑花紅」の読み方について 「柳緑花紅」の読み方についてですが、通常は「りゅうりょくかこう」と音読みをします。
【ことわざ】 柳は緑花は紅 【読み方】 やなぎはみどりはなはくれない 【意味】 美しい春景色の形容だが、それ以外に緑の柳や紅い花は当然のことであり、そこに人工ではない自然の真の姿があるといった意味を込めて使う。
しかし人間はそのことを忘れていたり、思いいたらなかったりします。
<札の場合> 札表=飛香舎(ひぎょうしゃ)、昭陽舎(しょうようしゃ)、紫宸殿(ししんでん)、弘徽殿(こきでん)、清涼殿(せいりょうでん)、淑景舎(しげいさ(しゃ))、仁寿殿(じじゅうでん)、温明殿(うんめいでん)、襲芳舎(しほうしゃ)、凝華舎(ぎょうかしゃ) 札裏=桜、柳、吉野、錦木、葛城、紅、路野、緑、外山 <記紙の場合> 二炷ごとに札の名目にて記します。